2014年6月11日水曜日

橋下市長、屈したの?

 昨日、大阪の橋下市長が、問題児に対する「隔離政策」についての、教委の提案を承認したというニュースがありました。

 私は橋下氏のことはあまり好きではないですが、教委のありかたはやはり問題が多いと思っていて、特に知事時代にそこに切り込んでいた氏の姿は陰ながら応援したくなったものです。ゆえに、今回の件は屈服なのかなと思ってしまいました。維新の分裂で気落ちしたんですかね。

 この方針、確かに真面目な子やその親にとっては朗報に聞こえますが本当にそうですか?
学校という閉鎖された空間に問題児がいなくなってほっとしたとしても、将来社会に出ればどんな人間に出会うかわからない。
犯罪にはならない範囲で人を傷つけたり陥れたりする者はいっぱいいるわけですから、ある意味その予行演習としてワルガキの一人二人近くにいたほうが訓練になるかもしれません。

 ちなみに、私が高校生時代、クラスの中で二人、構内で喫煙して問題になった男子がいました。それも二回目のことだったので、担任はこういう方針をとりました
「今日の放課後、男子生徒だけで残って解決策を議論しろ」と。
実はこの件で、修学旅行にクラスごと参加させないと言い出した教師がいたそうです。
担任も苦肉の策だったのかもしれません。

 私は、この担任の策は間違っていなかったと思います。どういう結果を期待していたかはわかりませんが、クラス全員の問題と認識し、生徒同士で再発を止めるようにさせたかったのは間違いないでしょう。
 この高校が生徒の自主性を尊重する校風だったことも幸いして、クラス全員が自分の問題と認識して云々ということを教師に話してなんとか「修学旅行外し」は免れました。

 自分の意思とは関係なく、問題のある人間と同じ組織になってしまうことはどうしてもあります。その際にそれを自分の問題と思って向き合わねばならないということが学べたと思っています。

 半ば無理やりこのブログのテーマに結びつけますが、
暴力や問題行動でしか自分を表現出来ない子は「迷惑」ではなく「不幸な」子なんだということを、教師は理解してやって欲しいし、それを他の生徒たちに理解させることも教育だと思うのですが。
現場の苦労を知らない者が言っても無責任な発言ですけどね。

残念です。


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