2014年8月20日水曜日

青学で「ワークショップコレクション」

夏休み最後、子供たちには押し迫ったタイミングですが、29、30日にワークショップコレクションなるイベントがあって、クレヨン堂も、共同運営のヤシログラムが参加します。

このイベント、自分が子供のころにあったら、絶対参加したかったですね。
もっとも、私の子供時代には子供向けのイベントという物自体ほとんどなかったんですが。
子供いっぱいいたのになー(笑)と。

ただし、当時は母の実家に泊まって従妹と遊んだりして、そういったイベントなんかよりずっと楽しかったかもしれません。
今の子供はどうなんでしょうね。
ちなみにうちの子には兄弟も従妹もいません。ちょっとかわいそう。

話がそれました・・・

図書館でワークショップをやったときも感じたのですが、文化系志向のお子さんというのは確かにいるなと。そんな子たちの欲求をみたしてくれる、数少ないイベントです。
書道や絵画とも違う、科学などお勉強でもない活動って、小学生には機会が少ない気がします。自分を表現したり、クリエイティブなことをやる楽しさをもっと子供のうちから知ってもらいたいですねー。

イベントのHPはこちらです。
http://wsc.or.jp/

我々は「うごくといいな! 自分の描いた絵をアニメーションにしよう」というワークショップで参加しています。
ほんとにたくさんのワークショップが体験できるので、来られる人は是非どうぞ。
正直、自分が体験したいくらいです。

こどものためのワークショップ博覧会ワークショップコレクション10withモノづくり体感スタジアム

2014年7月18日金曜日

法律で決める家族・・・ねぇ?

昨日の最高裁の判決がかなりマスメディアを賑わしていますね。
DNA判定で血縁がないとわかった「父親」であっても、司法は父親と認めるべきとの判断をくだしたちという件です。

まったく理不尽とまでは言わないまでも、どこか釈然としない、というか、現代人の心情としてはやはり違和感が残る気がします。

DNA判定なんかなかった時代の法律なのに、という声も多いのですが、それよりも・・・

昔は、日本の家は、個人よりも「家」が大事とされていました。
だから、戸籍上の家族関係が重視されていたということになるのでしょう。
家長でもある夫は妻の行動の全てにも責任を追わねばならず、それが「過ち」であったとしても「家」としてそのまま受け入れるべし、というのが当時の常識で、その際に個人の気持ちが軽んじられていても世の中の考え方がそうなんだから仕方がないとされたことと思います。

しかし、今は男女同権で、子供の権利も尊重される(のが理想)時代です。
まして、個人より家を重んずる家庭がどのくらいあるというのでしょうか?

司法としては「秩序」を重視したのかもしれませんが、「家」中心の時代とは違うので、今は個人の気持ちや幸福を基調としてこその秩序だと思います。

まして、「社会全体で子育てを」なんて言われている風潮の中で、「法律上の家族」だけが子供の生育環境の責任者だという考えはおかしい。

昔の中国には「仲父」という存在がありました。
身分の高い人にとって親戚でもない「第二の父」みたいな意味です。今風にいえばメンターとも言えるでしょう。
こういった考え方を取り入れて、正式な親以外にもある程度法的な責任を負う存在を容認してもいいんじゃないでしょうか。

裁判所の権限を超えることかもしれませんが、ここはそういった「大岡裁き」を期待したかったところです。


2014年7月9日水曜日

以前の話題の続きです。

子供の絵について解説した本をいくつか読みましたが、なるほどと思う反面、個人的にはどうにも違和感を覚える解説が多く見受けられました。

「**色を多く使う子供はストレスが溜まっている」
「##な描き方をする場合は~~」

確かに心理テストでも、絵と描いた人の心理に関連があることは一般的にも認知されていると思います。
だけど前にも書いたように子供の発想はもっとさまざまだと思います。またその子が置かれている環境というか、どういうもの(絵など)に普段接しているかによっても描くものは変わると思うので、~だから~、という論法には少し首を傾げてしまうのです。

特に気になったのは
「黒い線で輪郭を描いているので~~~」というもの。
それって、普段見ているのがTVアニメだから影響されているんじゃないの?

ま、アニメばかりで絵本を見ていない子が多いということとは思いますが。

単純に子供の内面だけを分析するのではなく家庭環境やエンタメ環境も合わせた研究をしてほしいなと感じております。



追伸
クレヨン堂のサイトを一部リニューアルしました。
サンプル動画も増えましたので、のぞいてみてくださいねー

http://www.animegift.net/


2014年7月2日水曜日

ワークショップはまずまず成功かな?

久々の更新はイベントの報告です。

先日の日曜に都内の図書館主催で「アニメをつくろう」というワークショップイベントを行いました。
クレヨン堂でのサービスの応用で、実際にその場でお子さんが描いた絵を10秒程度のアニメにするという内容です。
時間限定の小規模なものでしたが、14人のお子さんが集まってくれて、ともに楽しい時間を過ごしました。




やはり絵のイベントに自分から参加するだけあってみんな上手でした。描いた絵はハサミで切り抜いてもらうのですが、けっこう複雑な絵でもちゃんと切れているので手先も起用なんだなーと感心させられました。
参加は女子が8割。
数少ない男の子ですが、自分の描いた電車がガクガクしながら動くの面白かったみたいでゲラゲラ笑って素材感は発揮してました。でも、男の子は話を聞いてないですねー(笑)。1枚の紙に2つの絵を描いてねって言ったのに、紙めいっぱいに1つの絵を描いちゃって2枚使う子が2人もいました。まあいいか。

工程上、どうしてもこちらでPC作業をしないと進まないため、ずいぶん待たせてしまったお子さんもいて、次は方法を改善したいと思います。

製作したアニメは全てyoutubeのクレヨン堂chにその場でUPしました。wifiルータの手配に失敗したせいで、あげたものをその場で観てもらうことが出来なかったのも残念な部分です。

3日たった時点で多いものは再生回数が20回を数えていて、何度も繰り返し見ている子がいることが想像できます。

色々反省点も多いのですが、子供たちとアニメを一緒に作るのはとても楽しい時間だったので、またやりたいと思います。


2014年6月18日水曜日

子どもの絵について書かれた本を読む

クレヨン堂では、自分たちなりにお子さんの絵を「読み解いて」、そこからアニメを製作することを目指しています。

ところで以前から子供の絵について書かれた本はあります。
絵から子どもの心理や置かれている環境を読み解くことを研究している本が代表的ですが、それ程種類は多くありません。

最近は虐待される子どものニュースが多く、心を傷めます。こういった研究がもっと普及すれば、少しはへらせるのではないかと思うのですが。
実際そうならないのは、その研究も紋切り型だったり、多分に研究者の主観に寄るところが多かったりするせいでしょうね。

私が一番気になるのは、描かれた絵を「それが全て」と仮定した上で分析する傾向が見られることです。

子どもの絵は、基本的には「完結していない」と思うのです。
プロの絵描きさんでも「絵の完成」という明確な線引は難しいそうですから、まして子どもが完成を意識して描いていることはまずないでしょう。
紙いっぱいに描いたからといって終わりとは限りませんし、そもそも途中で飽きて投げ出すこともあるでしょうし。

逆に子ども故に、まず描きたいものを描くということもあると思うので、未完成であってもそこから読み取れることはたくさんあります。
だから、上記のような研究が無意味とか的外れとは申しませんが、絵をきっかけに、子どもが表現したいもの、またはしたくても出来ないものを引っ張り出すという視点がもうちょっと欲しいなあとは思いますね。

もし、子育てで悩んでいる人が、この手の本を読んで、子どもや自分との関係についての知見を得ようとしたとしても、徒に不安を増幅させる危険性がありますので、「ひとつの意見として参考にする」程度にしたほうがいいと思います。




2014年6月17日火曜日

兵器の絵を描く男の子は「戦争好き」?

このブログは「クレヨン堂」主催者のブログなんだから、もっと子供の絵についての話題もとりあえげないといけないなー、と思っていた矢先、珍しいものを見つけたので。

昨日の新聞の読者欄は子供特集でした。
その中に、おや、男の子が描いたゼロ戦のイラストが。けっこうしっかり描けていて、「52型」とまで書いてあります。今どき珍しいですね。「風立ちぬ」の効果ですかね。

お母さんたちの中には、自分の息子がこういう絵を描いたのを見て、「やだ、うちの子、戦争好きなのかしら。困ったわ・・・」などと思われる人もいるかもしれません。今日はそんな話を。

結論から言いますと、これ、まったくの杞憂です。
順に説明しますね。

まず認識いただきたいのは、男女で比べたら男は戦争が好きです。これはどうしようもない。
と言うより、そういう男が子孫を残せたのだからしょうがないですね。

狩猟民族については言うまでもないでしょう。動物に勝てないと飢えてしまうので戦うのが得意な人の遺伝子が残ります。
農耕民族もまた、戦って農地を増やさなければ生き残れなかったわけですから、今生き残っている人たちは皆、戦って農地を獲得した人の子孫なわけです。世界的に同じことが言え、中国の歴史の教授曰く「秦が全国を統一する過程では農民も喜んで戦争に戦争に参加した。勝てば農地がもらえるから」とのお話。「喜んで」かどうかはともかく、生き残るにはそれしかなかったんでしょう。

なので、あくまで男のなかでの話にはなりますが。

なぜ、兵器の絵を描きたがる男の子が別に戦争好きなわけではないか。
実際に戦うのが好きな子は、おとなしく絵なんぞ描いてません。外で暴れています。絵を描くのが好きという時点でおとなしい子です。むしろもっと外で元気に遊ぶべきです(^^;)

ただ、兵器に興味が有るのは事実ですね。
ではなぜ?
兵器というのは「機能」の塊です。全ての部品や、全体の構成も、ある目的のために作られていて、それは見た目の形状にも現れています。これは男の興味をそそることなのです。

普通の乗り物でいいじゃないの、と思われるかもしれませんが、普通の電車や車はそこまで機能に徹していないので、あまり面白みがないのです。まして、非日常性に憧れるのが男の本能ですから、車よりも、電車や建築車両、緊急車両、さらに兵器というのは好奇心の対象として当然の序列です。

描くのをやめさせないほうがいいと思います。兵器に興味を持つ子は、観察眼が優れている可能性が高いです。そこが優れているからこそ、上に述べた「機能とデザイン」というところに興味があるのです。
将来はエンジニアや研究者として伸びる才能があるかも。勿論、漫画家やアニメーターに進むかもしれませんが、観察眼の高さはこれらの業種に共通して求められる資質です。
むしろそちら方面の才能を伸ばすことを考えてあげてください。

ファンタジーものが全盛の昨今で、「メカ」の最たるものである兵器に興味が行く子はそれだけで貴重な存在価値ありです。

<以下蛇足>
宮崎駿さんも、漫画を描くときは戦争や兵器ネタが多いので、お母さん方から非難されることがあったそうです。なぜそういうふうにしか結び付けられんのだと憤慨されてましたね。

(この絵ではないですよ。そもそもこれはゼロ戦じゃないし)

2014年6月12日木曜日

褒めて伸ばした結果がこれか? クロ現代で見た若者たち

従業員を辞めさせないために、とにかく褒める。
昨日の「クロ現代」の内容がそうでした。
以前にも従業員同士で自己啓発作文を発表し合うような企業の話をやっていましたが。

すごくいい加減な記憶で書いてしまうのですが、
「ゆとり教育」だの
これからは「ほめて伸ばす」のが正しい だの
言い始めた時期って、今20代の人たちが子供だった頃と一致しませんかね?

いつもよりちょっと考えてみた
今日はちょっと頑張ってみた
という程度のことでも褒めてもらって育った世代は、とにかく褒めてもらうのが当たり前になって、いわゆる「承認欲求」ばかり強くなってきたのではないでしょうか?

結果、
褒めてもらわないとやる気が起きない
自分で自己評価ができない
といった「社会人」が大量発生してきたように思います。

無責任に褒めた結果がこれだとしたら、やはり「褒めて伸ばす」は間違い、もしくは使用法を誤ったとしか思えません。

なんの評価ももらえない。これは確かにやる気を削ぎます。
が、やる気のある人材は「いい悪いをはっきり評価してもらいたい」と考えているものです。
もっと言うなら他人の評価なんか気にしない、自分の評価は自分で下すものです。
褒められないと意欲がわかないのは単なる甘えです。

「褒めておけばいい」というのは、子供にちゃんと向き合っていないことと何ら変わらないものであり、保護者や指導者をも甘やかしてしまったのではないですか?