2014年6月18日水曜日

子どもの絵について書かれた本を読む

クレヨン堂では、自分たちなりにお子さんの絵を「読み解いて」、そこからアニメを製作することを目指しています。

ところで以前から子供の絵について書かれた本はあります。
絵から子どもの心理や置かれている環境を読み解くことを研究している本が代表的ですが、それ程種類は多くありません。

最近は虐待される子どものニュースが多く、心を傷めます。こういった研究がもっと普及すれば、少しはへらせるのではないかと思うのですが。
実際そうならないのは、その研究も紋切り型だったり、多分に研究者の主観に寄るところが多かったりするせいでしょうね。

私が一番気になるのは、描かれた絵を「それが全て」と仮定した上で分析する傾向が見られることです。

子どもの絵は、基本的には「完結していない」と思うのです。
プロの絵描きさんでも「絵の完成」という明確な線引は難しいそうですから、まして子どもが完成を意識して描いていることはまずないでしょう。
紙いっぱいに描いたからといって終わりとは限りませんし、そもそも途中で飽きて投げ出すこともあるでしょうし。

逆に子ども故に、まず描きたいものを描くということもあると思うので、未完成であってもそこから読み取れることはたくさんあります。
だから、上記のような研究が無意味とか的外れとは申しませんが、絵をきっかけに、子どもが表現したいもの、またはしたくても出来ないものを引っ張り出すという視点がもうちょっと欲しいなあとは思いますね。

もし、子育てで悩んでいる人が、この手の本を読んで、子どもや自分との関係についての知見を得ようとしたとしても、徒に不安を増幅させる危険性がありますので、「ひとつの意見として参考にする」程度にしたほうがいいと思います。




2014年6月17日火曜日

兵器の絵を描く男の子は「戦争好き」?

このブログは「クレヨン堂」主催者のブログなんだから、もっと子供の絵についての話題もとりあえげないといけないなー、と思っていた矢先、珍しいものを見つけたので。

昨日の新聞の読者欄は子供特集でした。
その中に、おや、男の子が描いたゼロ戦のイラストが。けっこうしっかり描けていて、「52型」とまで書いてあります。今どき珍しいですね。「風立ちぬ」の効果ですかね。

お母さんたちの中には、自分の息子がこういう絵を描いたのを見て、「やだ、うちの子、戦争好きなのかしら。困ったわ・・・」などと思われる人もいるかもしれません。今日はそんな話を。

結論から言いますと、これ、まったくの杞憂です。
順に説明しますね。

まず認識いただきたいのは、男女で比べたら男は戦争が好きです。これはどうしようもない。
と言うより、そういう男が子孫を残せたのだからしょうがないですね。

狩猟民族については言うまでもないでしょう。動物に勝てないと飢えてしまうので戦うのが得意な人の遺伝子が残ります。
農耕民族もまた、戦って農地を増やさなければ生き残れなかったわけですから、今生き残っている人たちは皆、戦って農地を獲得した人の子孫なわけです。世界的に同じことが言え、中国の歴史の教授曰く「秦が全国を統一する過程では農民も喜んで戦争に戦争に参加した。勝てば農地がもらえるから」とのお話。「喜んで」かどうかはともかく、生き残るにはそれしかなかったんでしょう。

なので、あくまで男のなかでの話にはなりますが。

なぜ、兵器の絵を描きたがる男の子が別に戦争好きなわけではないか。
実際に戦うのが好きな子は、おとなしく絵なんぞ描いてません。外で暴れています。絵を描くのが好きという時点でおとなしい子です。むしろもっと外で元気に遊ぶべきです(^^;)

ただ、兵器に興味が有るのは事実ですね。
ではなぜ?
兵器というのは「機能」の塊です。全ての部品や、全体の構成も、ある目的のために作られていて、それは見た目の形状にも現れています。これは男の興味をそそることなのです。

普通の乗り物でいいじゃないの、と思われるかもしれませんが、普通の電車や車はそこまで機能に徹していないので、あまり面白みがないのです。まして、非日常性に憧れるのが男の本能ですから、車よりも、電車や建築車両、緊急車両、さらに兵器というのは好奇心の対象として当然の序列です。

描くのをやめさせないほうがいいと思います。兵器に興味を持つ子は、観察眼が優れている可能性が高いです。そこが優れているからこそ、上に述べた「機能とデザイン」というところに興味があるのです。
将来はエンジニアや研究者として伸びる才能があるかも。勿論、漫画家やアニメーターに進むかもしれませんが、観察眼の高さはこれらの業種に共通して求められる資質です。
むしろそちら方面の才能を伸ばすことを考えてあげてください。

ファンタジーものが全盛の昨今で、「メカ」の最たるものである兵器に興味が行く子はそれだけで貴重な存在価値ありです。

<以下蛇足>
宮崎駿さんも、漫画を描くときは戦争や兵器ネタが多いので、お母さん方から非難されることがあったそうです。なぜそういうふうにしか結び付けられんのだと憤慨されてましたね。

(この絵ではないですよ。そもそもこれはゼロ戦じゃないし)

2014年6月12日木曜日

褒めて伸ばした結果がこれか? クロ現代で見た若者たち

従業員を辞めさせないために、とにかく褒める。
昨日の「クロ現代」の内容がそうでした。
以前にも従業員同士で自己啓発作文を発表し合うような企業の話をやっていましたが。

すごくいい加減な記憶で書いてしまうのですが、
「ゆとり教育」だの
これからは「ほめて伸ばす」のが正しい だの
言い始めた時期って、今20代の人たちが子供だった頃と一致しませんかね?

いつもよりちょっと考えてみた
今日はちょっと頑張ってみた
という程度のことでも褒めてもらって育った世代は、とにかく褒めてもらうのが当たり前になって、いわゆる「承認欲求」ばかり強くなってきたのではないでしょうか?

結果、
褒めてもらわないとやる気が起きない
自分で自己評価ができない
といった「社会人」が大量発生してきたように思います。

無責任に褒めた結果がこれだとしたら、やはり「褒めて伸ばす」は間違い、もしくは使用法を誤ったとしか思えません。

なんの評価ももらえない。これは確かにやる気を削ぎます。
が、やる気のある人材は「いい悪いをはっきり評価してもらいたい」と考えているものです。
もっと言うなら他人の評価なんか気にしない、自分の評価は自分で下すものです。
褒められないと意欲がわかないのは単なる甘えです。

「褒めておけばいい」というのは、子供にちゃんと向き合っていないことと何ら変わらないものであり、保護者や指導者をも甘やかしてしまったのではないですか?



2014年6月11日水曜日

橋下市長、屈したの?

 昨日、大阪の橋下市長が、問題児に対する「隔離政策」についての、教委の提案を承認したというニュースがありました。

 私は橋下氏のことはあまり好きではないですが、教委のありかたはやはり問題が多いと思っていて、特に知事時代にそこに切り込んでいた氏の姿は陰ながら応援したくなったものです。ゆえに、今回の件は屈服なのかなと思ってしまいました。維新の分裂で気落ちしたんですかね。

 この方針、確かに真面目な子やその親にとっては朗報に聞こえますが本当にそうですか?
学校という閉鎖された空間に問題児がいなくなってほっとしたとしても、将来社会に出ればどんな人間に出会うかわからない。
犯罪にはならない範囲で人を傷つけたり陥れたりする者はいっぱいいるわけですから、ある意味その予行演習としてワルガキの一人二人近くにいたほうが訓練になるかもしれません。

 ちなみに、私が高校生時代、クラスの中で二人、構内で喫煙して問題になった男子がいました。それも二回目のことだったので、担任はこういう方針をとりました
「今日の放課後、男子生徒だけで残って解決策を議論しろ」と。
実はこの件で、修学旅行にクラスごと参加させないと言い出した教師がいたそうです。
担任も苦肉の策だったのかもしれません。

 私は、この担任の策は間違っていなかったと思います。どういう結果を期待していたかはわかりませんが、クラス全員の問題と認識し、生徒同士で再発を止めるようにさせたかったのは間違いないでしょう。
 この高校が生徒の自主性を尊重する校風だったことも幸いして、クラス全員が自分の問題と認識して云々ということを教師に話してなんとか「修学旅行外し」は免れました。

 自分の意思とは関係なく、問題のある人間と同じ組織になってしまうことはどうしてもあります。その際にそれを自分の問題と思って向き合わねばならないということが学べたと思っています。

 半ば無理やりこのブログのテーマに結びつけますが、
暴力や問題行動でしか自分を表現出来ない子は「迷惑」ではなく「不幸な」子なんだということを、教師は理解してやって欲しいし、それを他の生徒たちに理解させることも教育だと思うのですが。
現場の苦労を知らない者が言っても無責任な発言ですけどね。

残念です。


2014年6月10日火曜日

ワークショップに来ていたお母さんが・・・

ワークショップ系のイベントが流行りですね。
少年野球みたいにスポーツ系は自ら参加する行事が多いのに対して、文化系のイベントはどうして
も受け身になりがちなので、参加者も手を動かすイベントは実際求められていたのでしょう。私も体を動かす方はまるで苦手だったので(今でも)よい傾向と思います。

とはいえ、先月某公園であった子供イベントで、せっかくいい天気なのに体を動かす遊びより、工
作教室的な場所のほうが子供が多く集まっているのを見ると、これも問題かなとは思うのですが。

で、自分の事業でもワークショップ的なことはやりたいと思い、このところいくつか見学などしているわけですが。
先日あるワークショップを見ていたら、女の子二人を連れてきていたお母さんが、始終スマホをいじってばかりで、娘たちのやっていることにあまり関心がない様子でちょっと驚きました。
これ、スポーツ系だったら、子供の出ている試合に来てるのに肝心の試合を見ていないのと同じようなことではないかと思うのですが
(ワークショップは、その日まで練習を積んできたわけではないので重みは違うとは思いますが)

でも、せっかく子供が普段と違うことにチャレンジしているのにちゃんと見てあげないとね。
何よりこういう時は親子がコミュニケーションを図るいい機会だと思うのですが。見てあげてたり、アドバイスしてあげたり、評価してあげたりと、普段あまりできないことがあるのにね。

一番身近な人が自分の行動をちゃんと見て評価してくれたら、子供も次に向けていろいろ考えたりすると思いますよ。それが想像力につながるし、親が子をより知ることに繋がります。
このお母さんは、二つも大事なチャンスが目の前にあるのに気が付かないようでした。残念。

ちょっと変わった時間を過ごすときは、しっかり子供を見てあげましょうよ。
もっとも、私だったら自分も参加して子供そっちのけで集中しちゃいそうですが(笑)


(写真は本文とは関係無いです)


2014年6月8日日曜日

「想像力」の最初の敵は学校かも

子供と想像力をテーマにしたブログのつもりなわけですが、想像力という言葉に含まれる範囲はかなり広いと思います。
今回は、その中にはいるであろう「発想力」や「アイデア」について。

いきなり経済の話なんですが、先週ECB=欧州中央銀行が預金金利をマイナスにするという発表をしました。私はあまり経済に詳しくないのでよく意味がわからんのですが、珍しいことなのは間違いないでしょう。

で、うちの娘は中二なんですが、例えばこんなことを学校で先生が話題に取り上げるかというとそんなことはまったくないようですね。私も中学時代はそんな感じでした。
私は「社会」という言葉の意味が実感できないまま学生時代を過ごしていました。だって「社会」の教科書の内容は実際に今自分が行きている社会とは切り離されたもので、TVや映画の歴史物や紀行番組の方がまだ関連付けられている気がしたからです。今も変わっていないみたいですね。

大人の世界で、発想力は不可欠。「企画」「アイデア」の考え方といった書籍や講座ではたいていこんなことが説かれています。
「企画やアイデアはゼロから浮かぶわけでななく、既存の複数のものを関連付けて合体させることから生まれる」
ごもっともです。
(付け加えるなら、そうした企画でないと周りも理解できないので、ゼロからひらめいたアイデアは素晴らしくても埋もれてしまうというのも現実です。)

つまり体験や知識を関連付けて受け止め、考える習慣がついていないと、周りが納得する「新しい発想」は出てこないわけです。

ところが学生時代には「勉強は勉強、実社会は実社会」みたいなことがあたりまえにあります。学校で習ったことと、自分が行きている世の中とどう関連があるのか教えもしない。これでは発想力が育つわけがないです。

うちの娘はそもそも利子が何なのか、なぜ銀行に貯金すると利子がつくのに銀行は商売になっているのか、とうことを知りませんでした。私も中二の頃は知らなかったと思います。
中学生にもなれば自分の名義の口座を持っている子も多いでしょう。なのに、銀行がどういうものなのかも全く教えていない今の教育って何なんでしょうか。

知識として習うことと、自分が見聞きしたものを常に関連付けて考えるということを、学校はあえてさせないようにしているとしか思えません。「学校の勉強ってなんの役に立つの?」と聞かれて答えられない大人は多いですよね。その大人だって同じような教育で育ったんですから無理もないです。

教育のありかたを議論するなんて、ちょくちょく政治家たちもやっているようですが、そういう視点がたいてい抜け落ちてて、学力向上とかそっちにばかり目が行っているように思えます。

将来の競争力を上げることが教育のひとつの目的なんだから、社会に貢献したり社会に変革をもたらす発想力を伸ばす議論をしていただきたいですね。


<ここから蛇足です>
宝くじを全部買い占めたらいくら儲かるか(損するか)ご存じですか。
エアコンはどうして冷やしたり温めたりできるか説明できますか。

宝くじは数学の「確率」で、エアコンは化学の「シャルルの法則」で説明できます。

2014年6月2日月曜日

子供の娯楽、多すぎない?

こんにちわ。

子供の数、減りましたよね。
なんて言わなくても皆さんご存知ですが。

でも、子供向けの娯楽は増えました。
コンテンツ(アニメとか)もそうだし、デバイス(ハード)もそうです。
私が子供だった頃の10倍くらいの感覚があります。

確かに私たちの時代はちょっと娯楽に飢えていました。
でも、ここまで多くなくたって、とも思います。

ここまで娯楽に囲まれた子どもたちが心配な気がします。
大人が用意した娯楽を享受するだけで十分楽しい。それはそれでハッピーかも知れないけど・・・
それで想像力は育つんですかねぇ。

それともう一点。
親子の関係にも不安があります。
親が子供に簡単に娯楽を与えておけるというのは、実際親にとっては楽なのですが。
ほんとにそれでいいんでしょうか?
電車の中で、親はスマホ、子供はDSという光景をよく見ます。
これは自省もこめて思うんですが、「もっとなんか話しなよー」と。もっと互いを知るべきでしょ。

そんな思いもあって、「子供の絵からアニメを作る」なんてサービスを始めてみました。

説明が足りてませんね。
すみません。これからぼちぼち話していきます。

共感いただける方、実際に子育て奮闘中の方、おひまなときに読んでみてください。
なるべくまめに書きますので。